牛頭天王と素戔嗚尊の習合関係は、単なる「同一視」や「混同」にとどまらず、その神としての属性についても及んでいた。
以下、近世に残る掛け軸の記載を手掛かりにその神学的習合関係を探る。
津島牛頭天王神号軸
尾張を中心に多くの信仰をあつめた「津島牛頭天王社」の江戸時代の神号軸である。本軸は肉筆であるが、同じ内容の刷り軸も非常に多く発行されている。「彌五郎殿」および「居森殿」とあるのは津島社の摂社である。
注目すべきは牛頭天王の神号の下に「一詠八雲和歌シテ心清々立」とあり、スサノヲの八雲神詠が本軸の中心となっている点にある。すなわち津島牛頭天王とスサノヲは完全に同一体である。
さらに重要なのは、続いて「萬民此ニ習テ祓禊ノ法ヲ務」とあり、「蒼生ノ居家ハ則神ノ舎ナリ 蒼生ノ器物ハ則神ノ器ナリ 是ヲ清浄則除疫病痘疹ノ災」とあることである。
すなわち、八雲神詠と「吾心淸淸之」(我が心清々し)というスサノヲの「祓い清める力」によって居宅や器物を清浄にすることで疫病や災いを防ぐという思想が示されているのである。
神道教説においては例えば江戸時代の吉川神道や垂加神道において、高天原で暴虐を尽くし天津罪をおかした悪神であるスサノヲが追放先において八岐大蛇を退治し神剣を天照大神に奉じるという善行をなし、八雲神詠と「吾心淸淸之」とを唱えたことにより自ら罪を祓い清めて善神に転じたとする解釈があった。
つまり本図は,巨旦将来を殺戮したり八岐大蛇を倒すといった暴力によって疫神を打ち倒すという牛頭天王・スサノヲのありかたとは異なり、「吾心淸淸之」というスサノヲの祓い清める力こそが,疫病を鎮める防疫神としての牛頭天王の力の源泉であるとしているのである。
スサノヲの神道教説が牛頭天王信仰に取り入れられた実例ともいえる。
羽黒山牛頭天王掛軸
修験道の聖地であった羽黒山の橋本坊が多数発行していた八王子・点刑星・牛頭天王の掛軸である。天刑星とは牛頭天王と習合していた疫除神である。
本図の牛頭天王像は異形で,牛頭はなく頭に角がある鬼または神農のような外見をしている。
左右の梵字には「オン・バンタクタアダ・ウンシッチ・アキダ・ウンウン・ソワカ」とあり,中世に唱えられていた牛頭天王真言とほぼ同じである。祇園社においても神事にてこのような真言が唱えられていた。
牛頭天王の両脇には「無明法性不二疫神 信心合掌亦復福神」とある。これは仏教にいう「無明即法性」すなわち無明(迷い)と法性(さとり)は一体不二であるという原理である。
重要なことは,この「無明即法性」という性質こそ,中世の神道家がスサノヲの本質として説いていた点にある。
たとえば吉田兼倶はスサノヲの善悪二面性を「善悪不二」(善悪一体)の理をしめすものであるとした。
兼倶の子、清原宣賢もスサノヲは「無明法性無隔也」と述べているほか、多くの神道家がスサノヲの本質は「無明即法性」であると説いている。
本図はこれをうけて牛頭天王のもつ「疫神」と「福神」の二面性は一体不二としているものと考えられる。
すなわち本図における「無明法性不二疫神 信心合掌亦復福神」という語は,牛頭天王信仰にスサノヲの神道教説が取り入れられた一つの実例としてみることができる。
以上のように、牛頭天王と素戔嗚尊の習合関係は、単なる「同一視」や「混同」にとどまらず、その神としての属性についても及んでいたことが、これらの遺物から看取することができるのである。
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